2025年作文コンクール入賞作品
水の惑星がつなぐ未来
去年の夏、気温が高すぎて学校のプールに入れない日が続きました。理由を知りたいと思った私は気象科学館へ行って、天体や気象は全て海につながっていると知りました。そして地球の表面積の70%は海ということも、国立科学博物館の海展で分かりました。
私が一緒にくらすおばあちゃんは地球のことを水の惑星といつもよびます。たしかにその名前の通りです。海展では他にも、地球上の水は97%が海水で、残りの淡水のうち人間が使えるのは0.01%しかないとも書かれていました。地球の水全てをお風呂一杯分の水に例えると、私たちが使える水は大さじ二杯分しかないそうです。そんなにきちょうな水なのに、私たち人間は一人あたり一日になんと3,000リットルもの水を必要としています。飲み水や衛生に50リットル、洗たくなどの家事に200リットルが使われていますが、これは見える水です。本当は私たちが使っている身の回りのものを作るために工場で150リットル、食料の生産に2,500リットルが見えない水として使われているのです。目に見えないものは、知ろうとしなければ分からないままになってしまう、ということに気がつきました。
次に使った水のゆくえが気になって下水道館で調べることにしました。はい水されて下水道に流れついた水は、何だん階も汚れをとりのぞかれて、最終ちんでん池のタンクに送られます。こう義を聞いて、私が目をはなせなくなったのは、微生物の働きが水をきれいにするだん階のことでした。0.3ミリメートルほどしかないゾウリムシやアメーバの仲間たちが汚れを食べてくれて、水の再生のために、目に見えないほどの小さな命ががんばってくれていることにおどろきました。こうしてきれいになった水は川や海に流れて蒸発して雲になります。その雲が次は雨や雪になって、また私たち人間や生き物に命を与えてくれるのです。水の環境を守ることは、全ての生き物の命を守ること、だから自分の生活だけを考えていてはいけないんだ。私ができることを行動し始めなければいけない、と考えるようになりました。
私たちが使う水を作るには、緑を守ることが大切です。そう思った私は地域の駅前再開発プロジェクトに参加して、水と生態系を守るために駅前の緑をふやすことをてい案しました。大人ばかりの中で意見を言うことは勇気が必要だったけれど、真けんに聞いてくれる大人を見て、私にもできることがあると気づきました。私たちが水を守るための行動は、私たちの未来を守ることと同じです。水のことを考えて、調べて、自分にできることを行動すれば自然は守られます。未来の人も地球のことを水の惑星といつまでもよべると良いな、と考えて私は行動し続けます。
私が一緒にくらすおばあちゃんは地球のことを水の惑星といつもよびます。たしかにその名前の通りです。海展では他にも、地球上の水は97%が海水で、残りの淡水のうち人間が使えるのは0.01%しかないとも書かれていました。地球の水全てをお風呂一杯分の水に例えると、私たちが使える水は大さじ二杯分しかないそうです。そんなにきちょうな水なのに、私たち人間は一人あたり一日になんと3,000リットルもの水を必要としています。飲み水や衛生に50リットル、洗たくなどの家事に200リットルが使われていますが、これは見える水です。本当は私たちが使っている身の回りのものを作るために工場で150リットル、食料の生産に2,500リットルが見えない水として使われているのです。目に見えないものは、知ろうとしなければ分からないままになってしまう、ということに気がつきました。
次に使った水のゆくえが気になって下水道館で調べることにしました。はい水されて下水道に流れついた水は、何だん階も汚れをとりのぞかれて、最終ちんでん池のタンクに送られます。こう義を聞いて、私が目をはなせなくなったのは、微生物の働きが水をきれいにするだん階のことでした。0.3ミリメートルほどしかないゾウリムシやアメーバの仲間たちが汚れを食べてくれて、水の再生のために、目に見えないほどの小さな命ががんばってくれていることにおどろきました。こうしてきれいになった水は川や海に流れて蒸発して雲になります。その雲が次は雨や雪になって、また私たち人間や生き物に命を与えてくれるのです。水の環境を守ることは、全ての生き物の命を守ること、だから自分の生活だけを考えていてはいけないんだ。私ができることを行動し始めなければいけない、と考えるようになりました。
私たちが使う水を作るには、緑を守ることが大切です。そう思った私は地域の駅前再開発プロジェクトに参加して、水と生態系を守るために駅前の緑をふやすことをてい案しました。大人ばかりの中で意見を言うことは勇気が必要だったけれど、真けんに聞いてくれる大人を見て、私にもできることがあると気づきました。私たちが水を守るための行動は、私たちの未来を守ることと同じです。水のことを考えて、調べて、自分にできることを行動すれば自然は守られます。未来の人も地球のことを水の惑星といつまでもよべると良いな、と考えて私は行動し続けます。
使い終わったカイロはゴミ箱へ?
ぼくは、今まで使い終わったカイロを当たり前のようにすてていた。すてるしかないと思っていた。ところが、使用ずみカイロを集めて、水をきれいにするためにさい利用している会社があることをテレビで知った。一年間に日本で使われているカイロは、約七十三万トン。冷たくなったカイロにも使い道があるとしたら、すててしまうのはもったいない。ぼくの家にも、冬に使ったカイロやぼうさい用に買い置きして期げんが切れてしまったカイロがあったので、カイロを回しゅうしている会社にさっそく送った。
カイロで水がきれいになる理由を知りたくて、両親に聞いたりネットで調べたりして、カイロの中に入っている鉄と炭が関係していることがわかった。これらが水中の物しつに作用して、赤しおやヘドロのにおいをふせぎ、水をきれいにしてくれるという。
本当に水がきれいになるのか、池の水をくんで、カイロを入れた水と何も入れない水の変化を一週間観察してみた。実験開始から次の日にはカイロを入れた水の上の方がとう明になり、数日後には全体がすき通って、初めのにごった水とは全く様子がちがっていた。においについては、どちらも同じように少し生ぐさいにおいがして、あまりこう果は感じられなかった。もしかしたら、もっと長く観察していたらこう果があったのかもしれない。それでも、たった一週間で水がきれいになり、これほどの変化があるのかと感心した。それと同時に、もっとたくさんのカイロを集めて、よごれた池や海に入れたら、世界中の水がきれいになるのではないかと思った。
母が「アップサイクル」という言葉を教えてくれた。アップサイクルとは、要らなくなったものやすててしまうものに手を加えて、より良いものにつくり変えることだ。カイロも水もしげんで、しげんにはかぎりがあるから大切に使う必要がある。
地球上にある水の量は昔からずっと変わらず、人が使える水はたったの0.01パーセントしかない。水はじゅんかんしているから、水を大切に使うことはもちろん、身近なかんきょうを守ることが回り回って水しげんを守ることにつながる。だから、使い終わったカイロはアップサイクルへ。そして、この活動をたくさんの人に伝えて、より多くのカイロを集められるよう、協力をよびかける。ほかにも、池に水を取りに行ったときに見つけたペットボトルなどのゴミをできるかぎり拾うようにする。生活の中で水をよごしてしまったのはぼくたちだから、きれいにするのもぼくたちのせきにんだ。一人ひとりにできることは小さくても、みんなで力を合わせれば、きれいな水を未来に残すことができる。
使い終わったカイロはゴミ箱へ?ぼくは、すてない。カイロのぬくもりは形を変えて、地球へのやさしなになると知っているから。
カイロで水がきれいになる理由を知りたくて、両親に聞いたりネットで調べたりして、カイロの中に入っている鉄と炭が関係していることがわかった。これらが水中の物しつに作用して、赤しおやヘドロのにおいをふせぎ、水をきれいにしてくれるという。
本当に水がきれいになるのか、池の水をくんで、カイロを入れた水と何も入れない水の変化を一週間観察してみた。実験開始から次の日にはカイロを入れた水の上の方がとう明になり、数日後には全体がすき通って、初めのにごった水とは全く様子がちがっていた。においについては、どちらも同じように少し生ぐさいにおいがして、あまりこう果は感じられなかった。もしかしたら、もっと長く観察していたらこう果があったのかもしれない。それでも、たった一週間で水がきれいになり、これほどの変化があるのかと感心した。それと同時に、もっとたくさんのカイロを集めて、よごれた池や海に入れたら、世界中の水がきれいになるのではないかと思った。
母が「アップサイクル」という言葉を教えてくれた。アップサイクルとは、要らなくなったものやすててしまうものに手を加えて、より良いものにつくり変えることだ。カイロも水もしげんで、しげんにはかぎりがあるから大切に使う必要がある。
地球上にある水の量は昔からずっと変わらず、人が使える水はたったの0.01パーセントしかない。水はじゅんかんしているから、水を大切に使うことはもちろん、身近なかんきょうを守ることが回り回って水しげんを守ることにつながる。だから、使い終わったカイロはアップサイクルへ。そして、この活動をたくさんの人に伝えて、より多くのカイロを集められるよう、協力をよびかける。ほかにも、池に水を取りに行ったときに見つけたペットボトルなどのゴミをできるかぎり拾うようにする。生活の中で水をよごしてしまったのはぼくたちだから、きれいにするのもぼくたちのせきにんだ。一人ひとりにできることは小さくても、みんなで力を合わせれば、きれいな水を未来に残すことができる。
使い終わったカイロはゴミ箱へ?ぼくは、すてない。カイロのぬくもりは形を変えて、地球へのやさしなになると知っているから。
水を守ることは、未来を守ること
私の家では、朝起きたらまず水を使う。顔をあらい、うがいをして、朝ごはんのごはんも水でたいている。水は、毎日あたりまえのように使っているけれど、ある日「水は無げんにあるわけじゃない」と気がついた。
きっかけは、新聞だった。アフリカの子どもたちが、のどがかわいていてもすぐに水を飲めず、遠くの川までくみに行く話がのっていた。しかも、その水はにごっていて、おなかをこわすこともあるという。それを読んで、私はとてもかなしくなった。そして、「日本に生まれたからって、水のむだづかいをしていいわけじゃない」と思った。
それから、自分にできることを少しずつ始めてみた。まず、歯みがきの時に水を出しっぱなしにしないこと。コップに水をくんで、みがくようにしている。次にシャワーを使うときも、体やかみをあらっている間は水を止めるようにした。始めはめんどうだな、と思ったけれど、なれてくるとそれがふつうになった。
もう一つ、気をつけているのは「水をよごさないこと」である。雨のあと、家の近くの道ばたに落ちていたゴミが、水たまりやみぞに流れていくのを見たことがある。そのとき、この水はどこに流れていくんだろうと考えたとき、学校で習った下水道の授業を思いだした。
そうだ、雨の水は、川や海につながっているんだった!私は、川や海の生きものたちが、よごれた水でこまっているかもしれないと思った。ゴミのせいで、ケガや病気になってしまう川や海の生き物たちのことも思いだした。
もし自分が魚だったら、よごれた水の中で泳ぐのはイヤだなと思う。だから私は、外でおかしを食べたときは、ゴミをきちんと持ち帰るようにしている。小さなことかもしれないが、そういうことの積みかさねが大切だと思う。
家でも、お兄ちゃんが水を出しっぱなしにしている時、「止めたほうがいいよ」と声をかけたことがある。お兄ちゃんは意外にも「そうだね」とすなおに止めてくれた。ちょっとうれしかった。自分の行動や言葉が、まわりにも良いえいきょうをあたえられるんだと思った。
水は目に見えないところでもたくさんの命とつながっている。だから、これからも水を大切にしていきたい。もし、みんなが歯みがきの時に水を止めたり、ゴミを道に捨てなかったり、小さなことでも気をつけるようになったら、地球はもっと元気になると思う。
私ができることは小さいことかもしれない。でも、これからも工夫して、まわりの人にも伝えていきたい。水を守ることは、私たち一人ひとりにできることだ。
きっかけは、新聞だった。アフリカの子どもたちが、のどがかわいていてもすぐに水を飲めず、遠くの川までくみに行く話がのっていた。しかも、その水はにごっていて、おなかをこわすこともあるという。それを読んで、私はとてもかなしくなった。そして、「日本に生まれたからって、水のむだづかいをしていいわけじゃない」と思った。
それから、自分にできることを少しずつ始めてみた。まず、歯みがきの時に水を出しっぱなしにしないこと。コップに水をくんで、みがくようにしている。次にシャワーを使うときも、体やかみをあらっている間は水を止めるようにした。始めはめんどうだな、と思ったけれど、なれてくるとそれがふつうになった。
もう一つ、気をつけているのは「水をよごさないこと」である。雨のあと、家の近くの道ばたに落ちていたゴミが、水たまりやみぞに流れていくのを見たことがある。そのとき、この水はどこに流れていくんだろうと考えたとき、学校で習った下水道の授業を思いだした。
そうだ、雨の水は、川や海につながっているんだった!私は、川や海の生きものたちが、よごれた水でこまっているかもしれないと思った。ゴミのせいで、ケガや病気になってしまう川や海の生き物たちのことも思いだした。
もし自分が魚だったら、よごれた水の中で泳ぐのはイヤだなと思う。だから私は、外でおかしを食べたときは、ゴミをきちんと持ち帰るようにしている。小さなことかもしれないが、そういうことの積みかさねが大切だと思う。
家でも、お兄ちゃんが水を出しっぱなしにしている時、「止めたほうがいいよ」と声をかけたことがある。お兄ちゃんは意外にも「そうだね」とすなおに止めてくれた。ちょっとうれしかった。自分の行動や言葉が、まわりにも良いえいきょうをあたえられるんだと思った。
水は目に見えないところでもたくさんの命とつながっている。だから、これからも水を大切にしていきたい。もし、みんなが歯みがきの時に水を止めたり、ゴミを道に捨てなかったり、小さなことでも気をつけるようになったら、地球はもっと元気になると思う。
私ができることは小さいことかもしれない。でも、これからも工夫して、まわりの人にも伝えていきたい。水を守ることは、私たち一人ひとりにできることだ。
イルカと私の約束
「もし、このまま海が汚れてしまったら、あの子たちはどうなっちゃうんだろう。」
授業でSDGsについて学んだ夜、私はベッドの中でそんなことを考えていた。
私はイルカが大好きだ。あんなにやさしく美しい生き物はいないと思う。家族旅行で南知多ビーチランドに行き、イルカにふれて、あのすんだ目を間近で見てから、もっともっと大好きになった。だけど、授業で学んだ海のおせんの話はきびしくて、「あの子や海の仲間たちは大じょう夫かな」とすごく不安になった。
その気持ちをむねに、私はビーチクリーンに参加した。しかし、そこで私はおどろいた。砂浜にはペットボトルのふた、プラスチックのストロー、さらにケーブルまで、信じられないほどたくさんのゴミが落ちていた。私は次から次へとゴミを拾った。でも拾っても拾っても、すぐ近くにまた別のゴミがある。まるで、どこからかわいて出てくるみたいだった。
「一体、どこからこんなにたくさんのゴミが流れ着くんだろう?」
家に帰って調べてみると、私たちがふだん何気なく出しているゴミの一部が、雨や風で川に流れ込み、やがて海にたどり着いてしまうことがわかった。さらに、海に流れたプラスチックゴミは小さくくだけ、「マイクロプラスチック」となって、海の生き物たちの体の中に入りこんでしまうこともあるという。
ウミガメがビニールぶくろをクラゲと間ちがえて食べてしまったり、魚がプラスチックへんを飲みこんでしまったりすることがあると知り、私はショックを受けた。
そして、それは海の生き物たちだけの問題ではなかった。小さなプラスチックを飲みこんだ魚を、私たち人間が食べることで、知らないうちに体の中にプラスチックが入りこんでしまうことがあるというのだ。海のよごれは、めぐりめぐって私たちの健康にもえいきょうをおよぼすと知り、「遠い世界のことじゃないんだ」とゾッとした。
「もっとたくさんの人が気づいてくれたら、海のよごれも減るのにね。」
お気に入りのイルカのぬいぐるみに話しかけながら、私はまたあの日出会ったイルカたちのことを思い出した。あのやさしい目をしたイルカが、いつまでも元気に過ごせるように。美しい海と水を未来に残せるように。私はこれからも、水を大切にすることを続けて行こうとおもう。
うでの中のイルカのぬいぐるみが、つぶらなひとみで私を見つめてくる。
「ねえ、これからも海を守ってくれる?」
私はぎゅっとだきしめて、そっと答えた。
「うん、約そくするよ。」
授業でSDGsについて学んだ夜、私はベッドの中でそんなことを考えていた。
私はイルカが大好きだ。あんなにやさしく美しい生き物はいないと思う。家族旅行で南知多ビーチランドに行き、イルカにふれて、あのすんだ目を間近で見てから、もっともっと大好きになった。だけど、授業で学んだ海のおせんの話はきびしくて、「あの子や海の仲間たちは大じょう夫かな」とすごく不安になった。
その気持ちをむねに、私はビーチクリーンに参加した。しかし、そこで私はおどろいた。砂浜にはペットボトルのふた、プラスチックのストロー、さらにケーブルまで、信じられないほどたくさんのゴミが落ちていた。私は次から次へとゴミを拾った。でも拾っても拾っても、すぐ近くにまた別のゴミがある。まるで、どこからかわいて出てくるみたいだった。
「一体、どこからこんなにたくさんのゴミが流れ着くんだろう?」
家に帰って調べてみると、私たちがふだん何気なく出しているゴミの一部が、雨や風で川に流れ込み、やがて海にたどり着いてしまうことがわかった。さらに、海に流れたプラスチックゴミは小さくくだけ、「マイクロプラスチック」となって、海の生き物たちの体の中に入りこんでしまうこともあるという。
ウミガメがビニールぶくろをクラゲと間ちがえて食べてしまったり、魚がプラスチックへんを飲みこんでしまったりすることがあると知り、私はショックを受けた。
そして、それは海の生き物たちだけの問題ではなかった。小さなプラスチックを飲みこんだ魚を、私たち人間が食べることで、知らないうちに体の中にプラスチックが入りこんでしまうことがあるというのだ。海のよごれは、めぐりめぐって私たちの健康にもえいきょうをおよぼすと知り、「遠い世界のことじゃないんだ」とゾッとした。
「もっとたくさんの人が気づいてくれたら、海のよごれも減るのにね。」
お気に入りのイルカのぬいぐるみに話しかけながら、私はまたあの日出会ったイルカたちのことを思い出した。あのやさしい目をしたイルカが、いつまでも元気に過ごせるように。美しい海と水を未来に残せるように。私はこれからも、水を大切にすることを続けて行こうとおもう。
うでの中のイルカのぬいぐるみが、つぶらなひとみで私を見つめてくる。
「ねえ、これからも海を守ってくれる?」
私はぎゅっとだきしめて、そっと答えた。
「うん、約そくするよ。」
家族と海と
机に置かれた卓上の額。一枚の写真。僕の今いちばん好きな写真が、そこにある。
その写真は海を背景に、母と妹と僕の後ろ姿。父が写したものだ。
時刻は夕方頃で、空の光がそのまま海面を照らし、ちょうどやさしい反射を作り出していた。きれいな海だった。左から父、僕、妹、母の順で座った。母の髪が海からの風ですこしなびいた。
僕と母は血がつながっておらず、世間でいうところの義母にあたる。しかし母は、僕にとって誰よりも母だ。
「お兄ちゃん見て。きれい」
妹が言った。目の前の明石海峡大橋が点灯し、色づき始めたからだ。
三年前、僕は兄になった。妹が生まれるまで、日々大きくなる母のお腹を、僕はいちばん近くで見ていた。お腹のなかの赤ちゃんは羊水と呼ばれる水で守られている。羊水に包まれて赤ちゃんは動き、安心して育っていく。
ゆらぎ続ける波を見ながら、海と羊水は似ていると思った。母の鼓動と波のリズム。地球は海に包まれ、守られている。大人も子どもも生きていくうえで水が不可欠であるように、赤ちゃんと地球の生命にも絶対に水が必要で、水は命そのものであると思えた。そして水を大切にすることは、同時に生命を大切にすることだと感じた。
空の色のトーンがおちて、橋の灯はより輝きの深みを増した。父は僕たち三人の後ろにまわってから簡単な三脚を立て、シャッターを押した。
この写真を見ると、その日の風の温度や波の音が思い出される。妹は、小さな背中を見ただけで笑っているのがわかるし、家族を包む母の優しさも伝わってくる。その母の優しさは水のようだと思った。
水は自在にそのかたちを変える。ときに厳しく、ときにあたたかく、ときにつよく。水のような柔らかいつよさを持つ母に僕も妹も守られ、大きくなっている。
父はどんな思いでこの写真を撮ったのだろうか。正面や横顔ではなく、僕たち三人の背中を。
海はただそこにあるだけで、僕たちに心の動きを与えてくれる。たとえば海を見て気持ちが落ち着いたり、考え事をしたりして。
その日の海は、家族のかたちや、父と母、妹を思う時間を僕に手渡してくれた。決して当たり前ではない、穏やかに過ぎていく時間。そしてその時間を、父は写真に残した。本当にきれいな海だった。
今年もまた、家族で海を見に行こう。どんなことを話して、どんな時間を過ごそうか。そして今度は僕が父の背中を写真に残そう。大きくて広い海を背景に。
父もまた、水のようなつよさを持つ人だから。
あの日を忘れない、水と共に生きるということ
2011年3月11日、私が1歳の誕生日を迎える1ヶ月前のことでした。東日本大災害が襲った日、母から聞いた話では、幸いにも私は祖母のいる田舎へ向かう新幹線の中にいたそうです。当時、父は東京の病院に勤務中で、後から合流する予定でした。その時、父は病院内で激しい揺れに遭遇し、窓ガラスに亀裂が走るほどの衝撃だったと聞きました。事態が落ち着くと、父は医療従事者として被災地へ派遣されました。震災直後の日本は混乱の極みにあり、私たちは父と3ヶ月もの間、離ればなれの生活を余儀なくされました。東北から200km以上離れた首都圏でも、頻繁な余震、計画停電、そして断水が発生し、人々の生活は一変しました。
東日本大震災の恐ろしさは、激しい地震だけではありませんでした。地震直後に襲来した巨大な津波は、想像を絶する破壊力で沿岸部の街を飲み込み、多くの人々の命を奪いました。実際、東日本大震災における死因の約9割が津波による溺死だったという事実は、その圧倒的な破壊力を物語っています。
津波により起こった、福島第一原子力発電所事故は、目に見えない放射性物質による水の汚染という、新たな脅威をもたらしました。放射能汚染された水は、人々の生活を深く脅かし、未来への拭いきれない不安を植え付けました。汚染は福島県内にとどまらず、遠く離れた関東地方の水道水からも検出されるという事態にまで発展しました。母は市役所の人から配布されたペットボトルの水でミルクや離乳食を作るように指導されたそうです。私たちは、本来生命を育むはずの水を恐れ、その水によって苦しめられたのです。
昨年、私は東日本大震災がもたらした甚大な被害をどうしてもこの目で確かめたいという思いに駆られ、ある団体の活動に参加しました。現地では、実際に被災された方々の生々しい体験談を伺い、津波の被害を今も色濃く残す学校跡を見学しました。被災者の方々は、津波によって一瞬にして街が水没し、大切な家族、家、思い出の品々、そして何よりもかけがえのない記憶までもが濁流の中に消え去ってしまったと、深い悲しみを湛えた目で語ってくださいました。
「水は、時に生命を育む恵みとなり、時に全てを奪い去る脅威となる」。東日本大震災は、水の二面性を私たちに否応なく突きつけました。しかし、その絶望的な状況下におい
ても、人々は生きるために、そして愛する人を守るために、必死に水を求めました。飲料水、生活用水、そして亡くなった大切な人を弔うための水。水は、私たち人間が生きていく上で決して欠かすことのできない、最も根源的な存在であることを、私たちは改めて深く認識したのです。
あの日から14年。私たちは、震災の記憶を決して風化させることなく、自然の力への畏敬の念を抱き続け、後世に繋いでいく必要があります。それが“水と共に生きる”ことなのです。
東日本大震災の恐ろしさは、激しい地震だけではありませんでした。地震直後に襲来した巨大な津波は、想像を絶する破壊力で沿岸部の街を飲み込み、多くの人々の命を奪いました。実際、東日本大震災における死因の約9割が津波による溺死だったという事実は、その圧倒的な破壊力を物語っています。
津波により起こった、福島第一原子力発電所事故は、目に見えない放射性物質による水の汚染という、新たな脅威をもたらしました。放射能汚染された水は、人々の生活を深く脅かし、未来への拭いきれない不安を植え付けました。汚染は福島県内にとどまらず、遠く離れた関東地方の水道水からも検出されるという事態にまで発展しました。母は市役所の人から配布されたペットボトルの水でミルクや離乳食を作るように指導されたそうです。私たちは、本来生命を育むはずの水を恐れ、その水によって苦しめられたのです。
昨年、私は東日本大震災がもたらした甚大な被害をどうしてもこの目で確かめたいという思いに駆られ、ある団体の活動に参加しました。現地では、実際に被災された方々の生々しい体験談を伺い、津波の被害を今も色濃く残す学校跡を見学しました。被災者の方々は、津波によって一瞬にして街が水没し、大切な家族、家、思い出の品々、そして何よりもかけがえのない記憶までもが濁流の中に消え去ってしまったと、深い悲しみを湛えた目で語ってくださいました。
「水は、時に生命を育む恵みとなり、時に全てを奪い去る脅威となる」。東日本大震災は、水の二面性を私たちに否応なく突きつけました。しかし、その絶望的な状況下におい
ても、人々は生きるために、そして愛する人を守るために、必死に水を求めました。飲料水、生活用水、そして亡くなった大切な人を弔うための水。水は、私たち人間が生きていく上で決して欠かすことのできない、最も根源的な存在であることを、私たちは改めて深く認識したのです。
あの日から14年。私たちは、震災の記憶を決して風化させることなく、自然の力への畏敬の念を抱き続け、後世に繋いでいく必要があります。それが“水と共に生きる”ことなのです。
未来に撒く水
最近の夏は、「猛暑」を越え、「沸騰」とも言われるほど暑い。スコールのような突然の雨で体が冷えた経験から、私は昨年、「ベランダ打ち水大作戦」を決行してみた。
まず、朝と夕方、お風呂の残り湯をジョウロでベランダに撒いた。四十度近い気温を平均で三~五度下げることができたが、その効果が持続するのは数分・・・。それでも、一瞬空気は変わり、涼を取ることができた。
さらに、洗濯物をあえて夜に干してみると、気化熱によってベランダの温度が下がることに気付いた。窓から室内に吹き込む風が心地良い。また、偶然エアコンの室外機に水がかかり、鉄板部分が冷えた際には、エアコンの効きが良くなったように感じた。
水の使い方ひとつで温度を下げられたことは、身近な暮らしの中で工夫できることがあるという気付きとなった。そして、小さい頃に読んだ絵本で、水が、陸・海・空を永遠に巡っていたことを思い出し、そこから自然環境のつながりについて考えるようになった。
そのような時に参加したのが、戦争が地球環境に与える影響を学ぶ、官公庁主催のワークショップだ。そこで研究員の方から伺ったのは、私の中にあった「戦争」の概念を覆すほど衝撃的な話だった。
軍事技術が発達した現代の戦争では、環境破壊が甚大で、化学兵器による二次災害も出ているという。戦争で温室効果ガスが大量に出れば、熱波や洪水が起き、環境難民が生まれる。自分たちの環境の悩みが、遠い異国の地で起こっている戦争が原因かもしれないことを知り、無関心であってはいけないと改めて考えさせられた。
一方で、水の浄化施設の建設、衛星画像を使った環境問題の把握など、様々な活動をしている日本の研究者もいると伺った。私は考えた・・・。海や空はつながっているのだから、戦争が起こった後に対処するのではなく、起こる前の段階で、何かできることはないのだろうか。
水、空気、土・・・。それらは今を生きる命にとって欠かせないものであると同時に、未来へと引き継がれなければならないものである。戦争は、歴史や宗教など一筋縄では解決できない問題であることは分かっている。それでも、その悲惨な結末を知っているからこそ、私たちは対話をあきらめてはならない。
中学生の私にできることは、打ち水のような小さな行動しかないかもしれない。けれども、情報を集め、できることはないかと考えることは可能だ。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。もし、世界中の人が少しでも環境のことを考え、考えることをやめなければ、確かな一歩が踏み出せるかもしれない。打ち水のように、一人ひとりの意識や行動が静かに広がっていけば、きっと地球環境の未来は変えられる。そう信じている。
まず、朝と夕方、お風呂の残り湯をジョウロでベランダに撒いた。四十度近い気温を平均で三~五度下げることができたが、その効果が持続するのは数分・・・。それでも、一瞬空気は変わり、涼を取ることができた。
さらに、洗濯物をあえて夜に干してみると、気化熱によってベランダの温度が下がることに気付いた。窓から室内に吹き込む風が心地良い。また、偶然エアコンの室外機に水がかかり、鉄板部分が冷えた際には、エアコンの効きが良くなったように感じた。
水の使い方ひとつで温度を下げられたことは、身近な暮らしの中で工夫できることがあるという気付きとなった。そして、小さい頃に読んだ絵本で、水が、陸・海・空を永遠に巡っていたことを思い出し、そこから自然環境のつながりについて考えるようになった。
そのような時に参加したのが、戦争が地球環境に与える影響を学ぶ、官公庁主催のワークショップだ。そこで研究員の方から伺ったのは、私の中にあった「戦争」の概念を覆すほど衝撃的な話だった。
軍事技術が発達した現代の戦争では、環境破壊が甚大で、化学兵器による二次災害も出ているという。戦争で温室効果ガスが大量に出れば、熱波や洪水が起き、環境難民が生まれる。自分たちの環境の悩みが、遠い異国の地で起こっている戦争が原因かもしれないことを知り、無関心であってはいけないと改めて考えさせられた。
一方で、水の浄化施設の建設、衛星画像を使った環境問題の把握など、様々な活動をしている日本の研究者もいると伺った。私は考えた・・・。海や空はつながっているのだから、戦争が起こった後に対処するのではなく、起こる前の段階で、何かできることはないのだろうか。
水、空気、土・・・。それらは今を生きる命にとって欠かせないものであると同時に、未来へと引き継がれなければならないものである。戦争は、歴史や宗教など一筋縄では解決できない問題であることは分かっている。それでも、その悲惨な結末を知っているからこそ、私たちは対話をあきらめてはならない。
中学生の私にできることは、打ち水のような小さな行動しかないかもしれない。けれども、情報を集め、できることはないかと考えることは可能だ。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。もし、世界中の人が少しでも環境のことを考え、考えることをやめなければ、確かな一歩が踏み出せるかもしれない。打ち水のように、一人ひとりの意識や行動が静かに広がっていけば、きっと地球環境の未来は変えられる。そう信じている。
水
我が家では食事時によく国際問題の話をする。当然、トランプ関税も話題に出た。母が「関税は水も関係しているらしい」と話した。なぜ関税は水と関係しているのだろう。水について調べることにした。すると、様々な問題が水と関係していると分かった。
トランプ関税、米国はメキシコが農家から「水を盗んでいる」と課税の理由にした。両国は水資源をめぐる紛争を回避するために、一九四四年に条約を結んだ。米国はメキシコが条約に反し、送った水量が三分の一にも満たないことで農業生産量が安定せず、輸出に影響が出ると批判した。一方、メキシコでは干ばつが続き、国民に十分な水が供給されず、命に直結する程の被害を受けている。課税はメキシコにとって理不尽な主張だろう。
米国はカナダにも関税を課している。そして、カナダに米国の五十一番目の州になるべきだと主張している。この主張に、カナダのカーニー首相は「米国は私たちの土地、資源、水、そして国を求めている」と演説し、水にふれた。なぜ水なのか。カナダを五十一番目の州にしたい本当の理由は「水」ではないかと思った。三つの国は同じ北米大陸にあり、カナダの水資源が一番多く、下にいくにつれて水が少なくなる。米国は間違いなくカナダの豊かな水資源を求めている。トランプ関税では水は課税の理由になった。
水問題は他にも起きていた。二〇二一年、中国のブラマプトラ川でのダム建設計画では、下流域にあるインドが水不足や水害の可能性を懸念し、抗議した。両国は水によって摩擦が起きた。さらに、二〇二五年、つい先日のカシミールのテロ事件がきっかけで起きたインドとパキスタンの紛争では、インドは報復措置としてインダス川の水資源の利用を止めようとした。狙いはパキスタンの水不足。このように水は時に武器として利用される。
貿易、経済、戦争、様々なところで水が関係している。しかしながら、多くの日本人は水が経済の摩擦や戦争の火種になると思っていない。それは日本が島国のため、他国と水資源を奪い合うことがなく、また季節風の影響で雨が多く、水資源が豊富なため危機感がなかったにちがいない。しかし、他国では水資源の奪い合いが起きている。水が豊かな日本は水資源を奪われるかもしれないという意識が必要である。歴史や時事問題を通して、水による紛争を学校や家庭で繰り返し学ぶ必要がある。水資源を守る大切さを理解する必要がある。また、政府が水資源を守り、買収による水資源の独占を防ぐ必要がある。
水は課税の理由であり、摩擦の種であり、武器であり、時には人質や脅しとしても利用される。同時に、水は大地を育て、生命を支え、生活を豊かにする。そんな水を私たちは学び、理解し、大切にしていかなくてはいけない。
トランプ関税、米国はメキシコが農家から「水を盗んでいる」と課税の理由にした。両国は水資源をめぐる紛争を回避するために、一九四四年に条約を結んだ。米国はメキシコが条約に反し、送った水量が三分の一にも満たないことで農業生産量が安定せず、輸出に影響が出ると批判した。一方、メキシコでは干ばつが続き、国民に十分な水が供給されず、命に直結する程の被害を受けている。課税はメキシコにとって理不尽な主張だろう。
米国はカナダにも関税を課している。そして、カナダに米国の五十一番目の州になるべきだと主張している。この主張に、カナダのカーニー首相は「米国は私たちの土地、資源、水、そして国を求めている」と演説し、水にふれた。なぜ水なのか。カナダを五十一番目の州にしたい本当の理由は「水」ではないかと思った。三つの国は同じ北米大陸にあり、カナダの水資源が一番多く、下にいくにつれて水が少なくなる。米国は間違いなくカナダの豊かな水資源を求めている。トランプ関税では水は課税の理由になった。
水問題は他にも起きていた。二〇二一年、中国のブラマプトラ川でのダム建設計画では、下流域にあるインドが水不足や水害の可能性を懸念し、抗議した。両国は水によって摩擦が起きた。さらに、二〇二五年、つい先日のカシミールのテロ事件がきっかけで起きたインドとパキスタンの紛争では、インドは報復措置としてインダス川の水資源の利用を止めようとした。狙いはパキスタンの水不足。このように水は時に武器として利用される。
貿易、経済、戦争、様々なところで水が関係している。しかしながら、多くの日本人は水が経済の摩擦や戦争の火種になると思っていない。それは日本が島国のため、他国と水資源を奪い合うことがなく、また季節風の影響で雨が多く、水資源が豊富なため危機感がなかったにちがいない。しかし、他国では水資源の奪い合いが起きている。水が豊かな日本は水資源を奪われるかもしれないという意識が必要である。歴史や時事問題を通して、水による紛争を学校や家庭で繰り返し学ぶ必要がある。水資源を守る大切さを理解する必要がある。また、政府が水資源を守り、買収による水資源の独占を防ぐ必要がある。
水は課税の理由であり、摩擦の種であり、武器であり、時には人質や脅しとしても利用される。同時に、水は大地を育て、生命を支え、生活を豊かにする。そんな水を私たちは学び、理解し、大切にしていかなくてはいけない。




